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札幌地方裁判所 昭和44年(行ウ)3号 判決

原告

西村隆志

外六名

右七名訴訟代理人

草島万三

外二名

被告

静内郵便局長

小林忠外一名

右指定代理人

宮村素之

外八名

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者双方の求める裁判

一、原告ら

1  被告静内郵便局長が原告阿部恵一、同福原英二、同五十嵐健一、同河村勝に対してなした昭和四三年一月一三日付戒告の懲戒処分はこれを取消す。

2  被告国は、原告西村隆志に対し金五万円、同阿部恵一に対し金一〇万〇、一二九円、同長浜晴夫に対し金五万〇、一三四円、同富田均に対し金五万〇、一一六円、同福原英二に対し金一〇万〇、一四八円、同五十嵐健一に対し金一〇万〇、一三四円、同河村勝に対し金一〇万〇、一一二円の金員をそれぞれ支払え。

3  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

4  第2項につき、仮執行宣言

二、被告ら

主文と同旨

第二  当事者双方の主張

一、原告ら(請求の原因)

(一)  原告らはいずれも昭和四二年二月一日以前から、郵政省職員であつて静内郵便局に勤務するものである。

(二)1  被告静内郵便局長は、原告らがそれぞれ勤務を欠如しかつ時間外労働を拒否したことを事由として、昭和四三年一月一三日付で原告、阿部、同福原、同五十嵐、同河村に対しては戒告、同西村、同長浜、同富田に対しては訓告の処分をなした。〈中略〉

(三)  又被告国は、昭和四二年一二月二四日に支払うべき賃金につき、右(二)の勤務欠如を事由として、原告阿部に対しては一二九円、同長浜に対しては一三四円、同富田に対しては一一六円、同福原に対しては一四八円、同五十嵐に対しては一三四円、同河村に対しては一一二円をそれぞれ支払わなかつた。〈中略〉

三、被告ら(抗弁)〈中略〉

2 原告らは、次のとおり静内郵便局管理者から出された超過勤務命令を拒否した。

イ  訴外白川局長代理は、原告阿部が昭和四二年一一月一三日配達すべき郵便物中三〇通の持戻りがあつたため、同日午後三時一〇分ころ静内郵便局郵便外勤室において原告阿部に対し、口頭で「すぐ超過勤務で完配してくるよう」命じたが、同原告はこれを拒否した。

ロ  同白川局長代理は原告西村、同阿部、同富田、同福原、同河村が昭和四二年一一月一四日配達すべき郵便物中、原告西村においては、一三通、同阿部においては三三通、同富田においては三七通、同福原においては六八通、同河村においては七六通の各持戻りがあつたため、同日午後三時一五分ころ前同所において、同原告らに対し前同様口頭で超過勤務を命じたが、同原告らはいずれも右命令を拒否した。〈後略〉

理由

一請求の原因(一)、(二)の1、(三)の事実は当事者間に争いがない。

二抗弁1について

1イ  昭和四二年一一月四日原告西村、同阿部、同長浜、同五十嵐、同河村が午後三時二〇分ころに、同月七日原告西村、同阿部、同福原、同河村が午後三時一七分に、原告富田が午後三時二五分に、同月一〇日原告長浜、同富田、同福原、同河村が午後三時二五分に、それぞれ静内郵便局から退庁したことは当事者間に争いがない。

ロ  同月一四日の退庁時刻について

〈証拠〉によれば、同日原告西村を除くその余の原告らが、午後三時一五分に静内郵便局から退庁したことが認められ、〈証拠判断省略〉

ハ  同月一九日の退庁時刻について

〈証拠〉によれば、同日原告阿部、同富田、同福原、同五十嵐、同河村が午後三時一五分に静内郵便局から退庁したことが認められ、〈証拠判断省略〉

2  ところで被告らは、午後三時三〇分までは勤務時間であつてそれ以前に退庁するときは勤務欠如となる旨主張し、それに対し原告らは午後三時一七分以後は特例休息時間であつてしかも勤務を要しないと主張するのでこの点につき判断する。

イ  原告らの始業時間が午前七時二五分であること、原告らの労働時間が一日につき拘束八時間五分であることについては原告らが自ら主張するところであつて当事者間に争いがない。したがつて原告らの終業時間は午後三時三〇分であるものというべきである。

ロ  ところで、原告らは勤務時間終了前の一三分間は協約上の特例休息であつて勤務を要しないと主張する。

〈証拠〉を総合すれば以下の事実が認められる。

(一) 昭和二八年一月一日以前における郵政職員の勤務、休憩、休息の各時間については次のとおりの定めがあつた。

(1) 給与法第一四条において、「職員の勤務時間は休憩時間を除き、一週について四〇時間を下らず、四八時間をこえない範囲で人事院規則又は人事院の承認を得て各庁の長が定める。」旨規定されていた。

(2) さらにこれを受けて人事院の承認を得たうえ昭和二五年一〇月九日郵給第四六六号「服務時間実施要綱」が制定されたが、それによれば官庁執務時間服務(昭和二四年一月一日総理庁令第一号第一項による服務をいう)については、日曜日は勤務を要しない日とされ、月曜日から金曜日までは午前八時三〇分から午後五時まで(但しその間に三〇分の休憩時間を置く)、土曜日は午前八時三〇分から午後零時三〇分までが勤務時間とされ(したがつて労働時間は一日八時間、一週四四時間と定められていたわけである。)、休息時間については勤務四時間の中に一五分とされ、さらに休憩時間については毎四時間の所定勤務の後に三〇分とされていた。

(二) しかるところ、昭和二七年七月にいたり、公共企業体等労働関係法(以下、公労法という。)が改正され、昭和二八年一月一日郵政職員にも公労法ひいては労基法が適用されることとなつたため、従前の法律の適用が除外され労働条件につき疑義が生じた結果、郵政省と全逓とは昭和二八年一月一日いわゆる暫定協約を締結し、その第一条において「従前の法律の適用を除外された労働条件は、昭和二七年一二月三一日において適用されていた法令の規定する取扱いおよび従前の慣行による。但し職員の労働条件に関する協約等が締結されたときはその定めるところによる。」と定め、第二条において「この協約は暫定的なものであるから、郵政省および全逓は、職員の労働条件の改善を図る目的で誠意をもつて速かに労働協約締結のために交渉を行う。」旨定めた。

従つて、右暫定協約の締結により終業時刻がどのようになつたかとの点については、①昭和二七年一二月三一日において適用されていた法令の規定する取扱いおよび従前の慣行に従うのであるから終業時刻も従前どおり平日は午後五時、土曜日は午後零時三〇分であるとする考え方と、②労基法の適用の結果、休憩時間は勤務途中に四五分を設けることとされ、かつ勤務時間についても従前と同様なのであるから平日の終業時刻は一五分延長され午後五時一五分になるとする考え方がありうるわけであるが、本件全証拠によるも当時勤務時間の短縮がなされたことは認められず、しかも右暫定協約を締結せざるを得なかつたのはまさに労基法(その三四条一項により休憩時間が四五分となり、従前の三〇分より一五分延長された)が適用されたためであることをあわせ考慮すれば右②の考え方を取つたものと見るのが相当である。

なお証人小納谷幸一郎は、右暫定協約締結の際、休息時間を勤務時間の終りにつけることにより労使間で従前と同様の時間に退庁できるとの約束ができていた旨証言するが、休息時間を勤務時間の終りに置くという便法が取り上げられたのは後記認定のとおり昭和二八年六月一日付で制定された郵政省就業規則に伴う指導通達が初めてであること、なされたと称する右約束について書面が作成されている様子も認められないこと、前記暫定協約が勤務時間の短縮について何ら触れていないことなどを考慮すれば、右の証言はとうてい措信できない。

(三) その後郵政省は、労基法に基づき就業規則を制定することとしたが、制定前にこれを全逓に提示して意見を求めたところ、全逓は昭和二八年五月二九日付全逓総第六二一号をもつて郵政省に対し意見を表明し、同時に「勤務時間に関する協約案」を添付して勤務時間に対する考え方を明らかにした。右協約案によれば、①一日の勤務時間が四時間を超える場合は三〇分の休憩時間を勤務の途中に設ける(第三条)、②勤務時間四時間につき一五分以上の割合で勤務時間の一部を休息時間とする(第四条)、③職員の勤務は日勤々務と交替性勤務の二種類とする(第五条)、④日勤々務者の拘束時間は平日は午前八時三〇分から午後五時までの八時間三〇分、土曜日は午前八時三〇分から午後零時三〇分までの四時間とする(第六条)というものであつた。(ところで右④の要求はいわゆる日勤々務者に関するものであり、交替性勤務についてその要求がなかつたことは③の要求と比較して明らかである。)

郵政省は昭和二八年六月一日に前記全逓の意見を徴したうえ就業規則を制定したが、それによれば勤務時間は一日八時間、一週四四時間、休憩時間は勤務途中に四五分、休息時間は勤務四時間につき一五分とされたが、右休息時間については、能率を維持し且つ保健と安全のため勤務中に設けられる時間であつて、勤務時間に含まれるものと規定された。そして右就業規則は昭和二九年二月一日から施行されることとなつた。

それに対し全逓は、昭和二八年八月一七日付で郵政省に対し要求書を提出し、そのうち勤務時間等に関しては前記協約案と同旨の要求をなしたが、それに対し郵政省は同年一〇月五日付で勤務時間等に関しては右就業規則に定めるとおりに実施する旨を主張した。

ところで同年一二月五日、郵政省は右就業規則の取扱いにつき、同月二八日付郵人管第四二九号をもつて同規則の解釈、適用についての指導通達を発出したが、休息時間関係については「休息時間(特例による休息時間を含む)の割り振りについては、所属長が実情に応じて定めることとする。但しこの通達に定めるもののほか勤務時間の始又は終においてはならない。」。「一般の特例 勤務時間が六時間をこえ八時間以内の場合においては、所属長が業務の運営上支障がないと認めた場合に限り、所定の休息時間もしくは特例による休息時間のうち一五分を勤務時間の終りに置くことができる。」と指導し、運用の如何によつては午後五時で退庁できるようにして、退庁時刻に関する前記全逓の意見を容れようとしたのであつた。これが本件で問題となつているいわゆる特例休息と呼ばれるものである。

(四) しかしながら全逓は、勤務時間および退庁時刻等に関する右就業規則の規定に同意せず、日勤々務者の退庁時刻を労基法適用前と同様午後五時としようとし、労基法の規定も考慮したうえ、従来午前八時三〇分から午後五時までの拘束八時間三〇分のうち休憩時間を三〇分、休息時間を三〇分とすることを主張していたのを、拘束八時間三〇分のうち休憩時間四五分、休息時間三〇分を置くことを主張した。(これは実働時間の短縮を意味することに他ならない。)

右の要求については労使間で交渉が行なわれたが合意に至らず、結局全逓は昭和二九年五月二八日に至り公共企業体等中央調停委員会に調停を申請し、同年九月一日同調停委員会から調停案が提示されたが労使ともにこれを受諾しなかつたため調停は不調に終り、やむなく全逓は同年一〇月五日公共企業体等仲裁委員会に対し仲裁の申請を行つたが、仲裁申請事項には休息時間の問題を含めず拘束八時間三〇分の中に休憩時間四五分を置くことを右申請事項としたものであつた。しかし右仲裁委員会は昭和三〇年四月一六日付をもつて、就業規則において休憩時間を従前の三〇分から四五分に延長したことにより生ずる一日の拘束時間八時間四五分は現行どおりとするとの仲裁をなし、これにより右の労使紛争は一応の終結をみるに至つた。(なお拘束八時間三〇分の中で休憩時間四五分を置けとの主張が日勤々務者を対象としたことは前記調停申請の際提出された調停申請書記載の申請事項(五)、(六)、(八)を比較検討すれば明らかである。)

ところで現実の問題としては、前記調停申請前の昭和二九年五月六日に開催された郵政省と全逓との交渉において、全逓側が一日拘束八時間三〇分の中で休憩四五分、休息三〇分を与えるべきであると主張したのに対し、省側が「(就業規則の中では一日拘束八時間四五分の中で休憩四五分、休息三〇分を与えるように規定しているが)、実際は午後の休息を勤務時間の終りにつけているので五時に帰つているではないか」と答えているとおり、日勤々務者については一般的に前記特例休息がとられており、その特例休息がとられている場合には右の休息時間の開始とともに退庁することが許され、かつ超過勤務による残業手当等についても、右休息時間の開始時刻から計算する取り扱いがなされていたのであつた。

(五) その後郵政省と全逓は前記暫定協約の趣旨に従い、労働条件に関する労働協約を締結すべく交渉を続けることになつたが、昭和三二年一二月五日の団体交渉において日勤々務の始終時刻につき「従来の実態どおりでゆく」との妥結がなされ、それを受けて昭和三三年四月一五日「勤務時間および週休日等に関する協約」および「同付属覚書」が締結され、次のように定められた。

(休息時間)

第二条一項……勤務時間中には、職員の能率を維持し、かつ保健と安全のため、勤務中に休息する時間(以下「休息時間」という。)を設ける。

二項、休息時間は、原則として、勤務四時間中に一五分を勤務の途中に設ける。(以下省略)

(別表第二)休息時間の特例

一、一般の特例

勤務時間が六時間をこえ八時間以内の場合においては、所属長が業務の運営上支障がないと認めた場合に限り、所定の休息時間もしくは特例による休息時間のうち、一五分を勤務時間の終りに置くことができる。

(但書省略)

ところで、右の「実態どおりゆく」とは、一般的に特例休息制度が普及し、実際の運用(右特例休息制度の活用)によつて一日の拘束時間が八時間三〇分とされていることから、今後もそのような取り扱いをしようということに他ならない。

以上のとおり認められ、〈証拠判断省略〉。

ハ 以上のとおりであるとすれば、原告ら主張のように特例休息制度が存在するというだけで、郵政省側がいわゆる「はみだしの一五分」に関し、無条件で退庁を認めていたとすることはできず、各事業場においてはたして右の特例休息が具体的に設けられていたか否かについて考察しなければならない。そこで本件紛争当時の静内郵便局についてみるに、〈証拠〉によれば、右の特例休息を設けるか否かは静内郵便局の所属長たる局長がいわゆる服務表を作成する際、休息時間のとり方を記載することによつて明示することとなつていたことが認められるところ、〈証拠〉によれば(右〈証拠〉は昭和四二年九月一二日から同年一一月四日まで、右〈証拠〉はそれ以後に適用された服務表である。)、原告らに対し許されていた休息時間は、勤務の途中に手すき時間を利用して二八分とされていたことが認められ、〈証拠判断省略〉。

以上のとおりであつて、本件においては特例休息制度が設けられていなかつたのであるから勤務時間の終りに休息時間をとることは許されず、原告らの拘束時間は原則どおり午後三時三〇分までであるといわざるを得ないので、前記原告らの主張はその理由がない。

ニ 次に原告らは、一〇年以上にわたつて早帰りの慣行が定着し原告らはそれに従つたにすぎないと主張し、〈証拠〉は、いずれも右主張に副う供述をするが、〈証拠〉を総合すれば、昭和四一年一〇月山本局長が静内郵便局に赴任して以来、同局職員の中には勤務時間を守らないものが一部みうけられたので業務打合会などにおいて時間厳守を強く命じていたことが認められる他、〈証拠〉中には本件紛争当時に限つて一五分の早帰りをしていたように認められる部分もあることにてらせば、〈証拠判断省略〉。

三抗弁2および再抗弁1について

1イ  昭和四二年一一月一三日について

〈証拠〉を総合すれば、抗弁2のイの事実が認められ、〈証判断省略〉。

なお昭和四二年一一月一三日訴外白川局長代理が原告阿部に対して口頭で超過勤務を命じたこと、当日同原告に持戻り郵便物があつたことは当事者間に争いがない。

ロ  昭和四二年一一月一四日について

〈証拠〉を総合すれば、抗弁2のロの事実が認められ、〈証拠判断省略〉。

なお昭和四二年一一月一四日、訴外白川局長代理が口頭により、原告西村、同阿部、同富田、同福原、同河村の各原告に対し超過勤務を命じたことおよび同原告らに持戻り郵便物があつたことは当事者間に争いがない。

ハ  昭和四二年一一月二二日について

〈証拠〉を総合すれば以下の事実が認められる。

訴外平野局長代理は、昭和四二年一一月二二日午前一一時一七分ころ、静内郵便局郵便外勤室において調査の結果同日の一号便で配達すべき郵便物中市内全区にわたり相当の未配達郵便物があることを発見し、市内一区担当の訴外長浜公夫、同二区担当の原告福原、同三区担当の原告五十嵐、同四区担当の原告長浜、同五区担当の原告河村に対し、「一号便の持戻りは二号便に組込み、正規の勤務時間内に完配できない場合は、二時間の範囲内の超過勤務により配達するよう」命じたが、原告長浜においては一五九通、同福原においては六一通、同五十嵐においては五一通、同河村においては四九通の持戻りがあつたため、午後三時一〇分すぎころ、前同所において、前記原告四名に対し口頭で前同様超過勤務により配達を完了するよう命じたところ、同原告らは口々に「命令簿に判を押さないと超勤しない」旨申し立てたので、同局長代理は、「命令は口頭でも文書と何ら変わるものではない。重ねて超勤を命ずる。応じなければ処分されることがある」と述べて再度超過勤務を命じた。それに対し原告五十嵐は「超勤するから命令簿を出してくれ」と申し向けたところ、同局長代理は「命令簿は関係ない。超勤しなさい。」と重ねて命じ、同原告がこれに応じなかつたところ、同局長代理は更に「こんなこととやかくいうのであればしなくてもよいから帰りなさい。」と述べた。そこで同原告らは事故郵便物の処理をすませた後午後三時三〇分ころ同局を退庁した。

以上の事実が認められ、〈証拠判断省略〉

なお訴外平野局長代理が、原告長浜、同福原、同五十嵐、同河村に対し口頭で超過勤務を命じたことおよび当日同原告らに持戻り郵便物があつたことは当事者間に争いがない。

ところで原告らは、訴外平野局長代理が発した右超過勤務命令はその後同人が撤回したと主張し、前記認定の事実によれば、同局長代理が「こんなこととやかくいうのであればしなくともよいから帰りなさい。」と述べたことも認められるが、右発言のなされた経緯は前記認定のとおりであり、右に照らせば同訴外人の前記発言は超勤拒否に対する単なる感情の表白にすぎないものと認められるから、未だ撤回の意思表示とは認めることはできず、他に原告らの主張事実を確認しうる資料はない。

2  ところで被告らは時間外労働義務はこれを内容とする労働協約および就業規則に基き使用者の指示命令のあるときはこれによつて生じるものと主張し、これに対し原告らは、右労働協約、就業規則は無効であり、時間外労働義務は、労働者のその都度の承諾によつてのみ生ずるものであると主張するのでこの点につき判断する。

イ  本件各原告が郵政職員であり、郵政職員については、昭和二八年一月一日から労基法が適用されていることは前示のとおりである。ところで、右労基法は労働者の最低労働条件を定めたものであり、労基法により定められた労働条件よりも不利な労働条件を労働者に課することは原則として許されないものといわなければならない。

ロ  さて労基法は労働者の労働時間に関し、その三二条一項で一日八時間、一週四八時間をこえる労働をさせることを禁じているから、郵政職員に対して一日八時間、一週四八時間以上の労働を課する如き労働契約は労基法に反するものということができる。このことは労働者がその自由な意思に基いてなしたものとしても同様であり、又使用者からのその都度の申込につきこれに承諾したものとしても同様であるといわなければならない。

しかしながら、労働時間に関しては労基法自身がその三六条において一日八時間、一週四八時間を超えて労働がなされる場合のあることを予想しているところであり、従つて、労基法の趣旨からして、かかる労働条件につき、労働組合が使用者と対等の立場に立ち、かつ自由な意思によつて使用者と協約を締結した場合には、それが合理的な内容のものであるかぎり、たとえ労基法に牴触する協約であつたとしても直ちに無効とはいえないと解するのが相当である。

しかし、右のように労基法と異なる定めをした労働協約が無効ではないとしても、右協約からただちに労働者が時間外労働義務を負担するにいたるか否かは別問題である。

けだし、労働組合は時間外労働の条件については使用者との団体交渉により労働協約を締結することはでき、その効果としてそれが各個の労働者に対しても規範的効力を及ぼすものというべきではあるが、それは労働条件といういわば労働義務の枠組を設定するに止り、それ以上に各個の労働者に時間外労働をなすべき義務自体をも負担させるものではないというのが相当であるからである。従つて、各個の労働者が時間外労働義務を負担するにいたる根拠は、あくまで、その意思表示にあるものというべきであり、しかるときは右労働協約の存在を前提とし、これに副う就業者規則および労働契約の存するときは、ここにはじめて各個の労働者は時間外労働義務を負担するにいたるものということができ、しかして必ずしもその都度の合意による必要はないものと解するのが相当である

ハ  ところで〈証拠〉によれば、郵政省と全逓は昭和三三年四月一五日前示のとおり「勤務時間および週休日等に関する協約」を締結し、勤務時間について一日八時間、一週四四時間とすることの合意がなされたが、さらに翌昭和三四年一二月二一日「時間外労働および休日労働に関する協約」(以下時間外協約という)を締結し、前記「勤務時間および週休日等に関する協約」に定める時間をこえて就労す場合の原則について合意がなされ、その第二条に「甲(郵政省)は、やむを得ない事由のある場合に限り、職員に時間外労働または休日労働をさせることができる。」旨、第三条において甲の各機関が、前条により時間外労働または休日労働をさせようとするときは、あらかじめ本人に通知する。前項の通知は原則として時間外労働については四時間前、休日労働については前日の正午までにこれを行う。」旨、さらに第四条には「前条により時間外労働または休日労働の通知を受けた職員に左の事由があるときは、本人または甲の機関に対応する乙(全逓信労働組合)の機関は異議の申立を行うことができる。(異議事由については省略)」旨の各規定が設けられるに至つたことが認められ、右認定を妨げる証拠はない。

そこで前示観点からすれば、前記時間外協約は一応労働組合対郵政省という対等の立場で締結されたものであり、かつ右協約を締結することが労働組合に強制されていたわけではなく、しかも右時間外協約は郵便事業の特殊性により時間外労働が必要かつ不可欠であることを考慮し、やむを得ない場合に限りこれを認めるものであつて合理的な合意であることは明らかであるので、たとえ労働時間について労基法に牴触する部分があつたとしてもこれを直ちに無効と解さなければならないものではない。

更に〈証拠〉によれば、昭和三六年二月二〇日郵政省就業規則が定められ、そこにおいて右協約に副う旨の規定が設けられてあることが認められる。そしてなお、〈証拠〉によれば、昭和四二年一一月一三日静内郵便局長山本僴と全逓日胆地方支部長高屋稀光との間で「時間外労働および休日労働に関する協定」(いわゆる三六協定)が締結され、そこにおいて殊に、「被告静内郵便局長は、郵便の業務が著しくふくそうして利用者に不便を与えると認められるときおよびその他急速に処理を要する業務の渋滞を防止するためやむを得ないとき等特定の場合には、所属職員に労基法第三二条もしくは第四〇条に定める労働時間を延長することができることおよび右時間外労働を命じ得る時間数は昭和四二年一一月一三日から同月一一月三〇日までの間において一日二時間、期間中一五時間とする」旨の規定が設けられていることが認められ、右認定を妨げる証拠はない。

しかして原告らが右労働協約および就業規則と異る労働締結を結んだ証左はなく、弁論の全趣旨によれば、かえつて原告らは右就業規則のもとでこれを容認して就労していたことが認められる。そして、本件各超勤命令が出されたのは、前記認定のとおり被告ら主張の各原告が多数の郵便物を持戻つたためであり、これは前記時間外協約第二条にいうやむを得ない場合(同条二項一号によれば郵便、為替、貯金、保険、年金、電信および電話の各業務がふくそして利用者に不便を与えると認められるときはやむを得ない場合に該当する。)であるということができる。

また本件各超過勤務命令のうち昭和四年一一月二二日以外の命令は就労時間の四時間前通知がなされなかつたことは前記認定のとおりである、前記時間外協約第三条においても通知時間に関しては原則を定めたものであり、あらかじめ予測しえない事態が生じたような場合にまで右原則を貫く必要はないものと解すべきところ、前記各超過勤務命令がなされるに至つた経緯については前記認定のとおりであり、使用者側があらかじめ予測することは不可能であつたと認められるので、そのような場合にまで就労四時間前の通知を必要と解するのは不合理であり、右各命令が就労四時間前になされなかつたとしても、適法と解すべきである。

以上の事実に基けば、本件各超勤命令は適法なものであり、原告らはこれにより時間外労働義務を負うにいたつたものといわなければならない。

ニ  さらに原告らは、静内郵便局においては労使交渉の結果時聞外労働命令を発する場合は、事前に「超勤々務・夜間・祝日勤務の命令簿・整理簿」と題する書類中の承認印欄に命令を受けた本人の承認印を押捺することになつていたと主張するが、右労使交渉がなされたことや、右原告ら主張の約定がなされたことを認めるに足る証拠はなく、かえつて〈証拠〉は、原告ら主張の約定など存在していなかつた旨を証言するところである。

また〈証拠〉によれば、郵政省は昭和三九年六月二五日付人事局長通達(郵給第三四二号)により、時間外勤務命令を発した場合はその都度勤務時間管理員に対し超過勤務命令簿にその月日・時間数等を記入するよう命じていたことが認められ、各原告らが、その原告本人尋問の結果中において前記命令簿・整理簿に時間外労働を命じられたものが承認印を押していたことを供述していても、それは前記通達に基づいてなされていたものと認めるのが相当であり、前記原告らの主張はその理由がない。

四処分の適法性について

以上の次第であつて、原告らには被告ら主張の勤務欠如および超過勤務命令違反の事実があるから、被告静内郵便局長が勤務欠如回数・時間・命令拒否回数等を考慮したうえ、原告阿部、同福原、同五十嵐、同河村に対して右各原告らの前記認定の各行為がいずれも国家公務員法第八二条各号に該当するものとして戒告処分に付し、またその余の原告に対して前記各原告らの非違行為よりもその非違程度が軽微であるとして郵政部内職員訓告規程に定める訓告をなしたことは適法であり、何らの違法もないといわざるを得ない(なお原告長浜につき、昭和四二年一一月四日、同月一〇日における勤務欠除が訓告理由とされていないことは被告らの主張するところである。)

なお原告らは懲戒権の濫用を主張するが、各原告について前記認定のとおりの非違行為が認められ、かつその処分内容も戒告処分や何ら不利益な取扱いを受けない訓告処分であつて、処分自体著しく重いとは認められないのであるから、たとえ原告ら主張の各事情を考慮したとしても所論の濫用があつたと認めることはできない。(原告ら主張の事情のうち、静内郵便局において一〇年以上にわたつて早帰りの慣行があつたとの点は前記のとおりこれを認めることはできず、またなるほど〈証拠〉によれば、特例休息を含む勤務時間一般の問題について全逓側と交渉してきた郵政省職員訴外吉野良二自身、その著書「勤務時間規程解説」の中で「どうも甚だあいまいな取り扱いであるが、最近この問題をもつと明らかにしようという動きがあるようでもあり、早晩、はつきりした取り扱いが定めなければならないものと考える。」旨著述していることが認められるけれども、仔細に右の文章を検討すれば、「この問題」とは一般の特例制度が設けられている場合休息時間の開始と同時に退庁することができるか否かという問題をさしているのであつて、原告ら主張のように当該事業所において特例休息制度が具体的に設けられていると否とにかかわらず退庁することができるか否かの問題について論じたものではないことが認められるから、右の事情を懲戒権の濫用の判断にあたつて考慮する必要はない。)

五結語

以上のとおりであつて原告らに対してなされた各戒告、訓告処分はいずれも適法であり、勤務欠如をした原告らは労務を提供しないのであるから、原告らに対して賃金を支払うべきいわれはなく(支払われなかつた賃金額の算出については原告らは明らかに争わない。)、また原告らに対して慰藉料を支払う理由もないというべきである。

よつて原告らの本訴請求はすべてその理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(磯部喬 太田豊 末永進)

別表

原告名

西村

阿部

長浜

富田

福原

五十嵐

河村

昭和四二年

一一月四日

(欠)

午後三時

二〇分

(欠)

右同

(欠)

右同

(欠)

午後三時

二〇分

(欠)

右同

同月  七日

(欠)

午後三時

一七分

(欠)

右同

(欠)

午後三時

二五分

(欠)

午後三時

一七分

(欠)

午後三時

一七分

同月一〇日

(欠)

午後三時

二五分

(欠)

右同

(欠)

右同

(欠)

午後三時

二五分

同月一二日

(欠)

午後三時

一五分

(欠)

右同

(欠)

右同

(欠)

右同

(欠)

右同

(欠)

右同

同月一九日

(欠)

午後三時

一五分

(欠)

午後三時

一五分

(欠)

右同

(欠)

右同

(欠)

右同

注 (欠)は勤務欠如を示す。なお時刻は欠如開始時刻を示す。

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